北沢憲昭「眼の神殿」メモ

北澤憲昭「眼の神殿―「美術」受容史ノート」メモ、感想。この本は1989年に刊行され、以後の日本における近代美術研究を決定的に転換する。その後しばらく絶版が続いていたが、2009年にブリュッケから再刊された。私が読んだのは2009年版のほう。

まず本書の主題を要約すると、明治期における近代化とは「視覚」を通した近代化(「近代化」というものが常にそうであるように)であり、それは「美術」という言葉の発明、その定義の変化、定着とともに興っていった。またそれは(当然ながら)官僚による上からの近代化であった―となるだろう。これは、「美術」という言葉は明治期に作られたものであり、西洋の「kunst」または「art」という概念を、制度としてどう根付かせるか、という問題に対する幾多の試みの描写、と言い換えられる。
本書が「眼の神殿」として一貫して取り上げる高橋由一の『螺旋展画閣』という建築の構想がある。これは螺旋状に階段がつくられ、訪れた者は各階にある油絵を見ながら最終的には頂上の遠望台に辿り着くというものである。
この実現しなかった建築の構造は、この本のメタファーでもあり、螺旋状の階段は様々な二項対立(日本画と洋画、西洋と東洋、自然と人口、美術と美術ならざるもの等)が絡み合い、ねじれた関係にありながらも結果として「近代」の「美術」を実現させた過程そのものとして描かれる。

高橋由一「螺旋展画閣」明治十四年

制度としての「美術」を形成する為には、まず「観客」を創らなければならない。観客とは、ただ自然発生的に「見る者」としてもともと存在したわけではなく、展覧会や博物館、美術学校といった制度によって創られるものである。展覧会におけるガラスケース越しの作品鑑賞によって触覚から切り離される視覚。螺旋展画閣はそうした「眼を持つ」観客を作り出すための装置であったといっていい。つまり内部で油絵を見た後、遠望台で「世界」を見る仕掛け。文中では言及されていないが、この時、遠望台に立った者が、例えば「まるで絵のよう」と風景を見たならば、由一の試みは成功したことになるのではないか?世界の写しが作品なのではなく、世界を「作品のように」見る、この転倒こそ美術の「効果」に他ならない。
これは由一の作品においても言える。豆腐や鮭、花魁の「リアリティ」は、ただ由一が「リアルに」写した事によっているのではなく、まさにこれらの作品によってそのリアルが存在し始めたのだ、という逆説がある。
で具体的に如何にして「美術」はつくられたか。これは簡単にまとめると、展覧会、博物館の組織の仕方、すなわち何を展示し何を除くか、という展示品の区分、取捨選択が、まず一つある(工芸と美術の分化、自然物と人工物の分化)。次に「東京美術学校」という美術=視覚芸術を意味するところの名称を持つ学校の設立、また博物館による過去の作品=古典の編纂。そしてあらゆる価値を最終的に保証するものとしての天皇による認証(国民絵画=日本画ではなく、国民の代表である天皇の絵画)。
フェノロサによる日本画の創出が、近代における「美術」の枠組みでなされていた、という指摘は重要であるように思われる。近代以後は「伝統」も自覚的に取り込まざるを得ないという再帰性(正確に言えば「伝統」とは近代において改めて「発見=作り出される」)。


つまり、「美術」という概念、言葉は、「観客」をつくり、「画家」を作り、博物館を建設し、展覧会を組織する、そうした具体的な制度によって構築されていったのである。これは学問の領域にも当然いえることで、こうした「制度論」は自身の仕事に再帰せざるを得ない。この自己言及性にこそ制度論の倫理がある。