北澤憲昭「眼の神殿」を読んで思った事のメモ。1 「日本画」や「洋画」の制度性(発生史)については理解できたが、それぞれのメディウムの差、描く対象(主題)の差、技法の差についての細かい議論がそこまで無かった、というのが一つあります。とはいえ、…

北沢憲昭「眼の神殿」メモ

北澤憲昭「眼の神殿―「美術」受容史ノート」メモ、感想。この本は1989年に刊行され、以後の日本における近代美術研究を決定的に転換する。その後しばらく絶版が続いていたが、2009年にブリュッケから再刊された。私が読んだのは2009年版のほう。まず本書の主…

ハル・フォスター編「視覚論」メモ2[読書][美術]

「視覚論」続き。4 ノーマン・ブライソン「拡張された場における<眼差し>」サルトルからラカンへの、「眼差し」の概念の変遷を追った後、西田幾多郎の弟子である西谷啓治の視覚論を提示する。物凄く図式的に言えば、「西洋」の視覚―眼差しの文化的制度(眼…

ハル・フォスター編「視覚論」メモⅠ

ハル・フォスター編「視覚論」(榑沼範久訳、平凡社)のメモ。 読んだのは平凡社ライブラリーのほうではなく、ハードカバー版。おそらくこっちは共同討議の部分が少しカットされている?原題はVision and Visualityで、視覚をvision、視覚性をvisuarityと訳…

おまけ 

―「ルサンチマン」というのは、要するにこういうことです。よく例えとして「すっぱい葡萄」の話が引用されますが、あれだけではいまいち理解できません。すっぱい葡萄の話とは以下のものです。(引用はウィキペディアから) 「キツネが、たわわに実ったおい…

ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」Ⅰ

ニーチェは、前回のブログでも書いた「感情の闘争」(大げさですが)を、まさに書物を著すことで実践していた思想家だったと思います。 ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」では、冒頭にツァラトストゥラが山を下って行くとき、一人の老人と出会います…

感情の闘争

人が社会や、政治的なことについて語るとき、多くの人は自分の「感情」をそもそもの動機としていて、「理屈」は後から来るものじゃないでしょうか? 例えば「嫌韓」と呼ばれる言説を支えているのは、そのような感情であると私は考えていて、問題は韓国の歴史…

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